毎年2月第2土曜日に行われる田峯田楽祭は、国指定重要無形民俗文化財でもあり、「鳳来寺」「黒沢」と並ぶ三河三田楽のひとつです。
昼田楽・夜田楽・朝田楽の全3部で構成され、
五穀豊穣を願い『田遊び』と呼ばれる農作業を模倣した踊りを演じます。
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毎年2月第2土曜日に行われる田峯田楽祭は、国指定重要無形民俗文化財でもあり、「鳳来寺」「黒沢」と並ぶ三河三田楽のひとつです。
昼田楽・夜田楽・朝田楽の全3部で構成され、
五穀豊穣を願い『田遊び』と呼ばれる農作業を模倣した踊りを演じます。
田峯田楽保存会は、田峯区在住の世襲制による田楽衆と、組として役柄を持つ「組持ち」と称する田楽衆によって組織されています。この中から会長一名を選出し、会長は田峰観音総代と協議しながら講演その他を司っています。
田峯田楽は永禄2年(1559)より継承された伝統芸能行事です。
もともとは大輪村堂貝津薬師堂(現・新城市愛郷大輪)に奉納されていた田楽を、当時の田峯城主である菅沼定忠が髙勝寺へ移したと伝えられています。
この田楽祭は戦国時代にはすでに盛況であったらしく、永禄11年(1568)の制礼が残されています。
昭和38年9月20日愛知県指定民俗文化財となり、昭和53年5月22日国指定重要無形民俗文化財となりました。
祭りを行う田楽衆の者は、役柄によって3日~7日前から精進潔斎に入ります。
田楽終了まで毎日水垢離(みずごり:冷たい水で体を清めること)をとり、食事も家族と別にとって、斎戒沐浴によって心身を清めた者が、祭りに携わることを許されます。
田峯田楽の特色として、昼田楽・夜田楽・朝田楽の三部制であることがあげられます。
田峯田楽の田楽帳は代々書写され守られてきました。最古のものは宝永7年(1794)のものを底本として用いています。
神を祭る行事と舞が行われ、
人形(ひとがた)のご幣を納めて祭る伽藍まつりや木の根祭り、
額堂では扇の舞や仏の舞が行われます。
時間 | 午前8時から午前10時まで |
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場所 | 額堂 |
演目の流れ
夜田楽は農作業の模擬的演技である『田遊び』が主体です。
観音様の内陣で豊作を祈願します。
鍬つくり、堰さらい、種選びなど一連の田遊びが行われます。
過去、夜田楽は22時過ぎから始まり深夜に終わった為「夜田楽」と呼ばれるようになりました。
時間 | 午後4時から午後8時まで |
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場所 | 観音堂本堂 |
演目の流れ
境内の四方に焚火をして行う田楽芸能、面の舞を中心とした行事です。
全員が本堂の庭に出て、笛・太鼓・ジャンガラの音に合わせて舞い、篝火を蹴散らして火の粉が舞い上がる勇壮な光景が展開されます。
全員が草鞋を穿いて行う田楽は、本堂内部の田楽とは雰囲気が一変します。
赤い天狗面の庭固めから始まり、殿面、女郎面、翁面、駒、獅子が登場します。
時間 | 午後8時から午後10時まで |
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場所 | 観音堂前庭 |
演目の流れ
祭の1週間前に奉納歌舞伎の観客席となる小屋掛けを行います。
昔から伝わる小屋掛の手法は人力作業で行われ、杉や桧の丸太、竹、荒縄で縛るのみです。
田楽祭に使用する道具や献饌物(けんしんぶつ:神仏への捧げもの)は当宿(とうや)においてすべて作られます。
当宿は祢宜(ねぎ:神職の総称)が『結界』として建物の周りを火打石の切り火と塩で清め、「塩湯」を飲み体を清めたもののみ入室することが許されます。
田楽祭で祢宜・羽織・鳥追い・笛吹などの役を与えられた者は、祭典前日にこの当宿において献饌物・幣束(へいそく)その他の道具を作り、その他の田楽衆は大祭当日にこの当宿においてそれぞれの持ち物などを作ります。
田楽衆は観音堂の北側にあるお滝の水で『笹垢離(ささごり:笹の葉で清めること)』をとってから観音堂に集合します。
魔払い役(さいはらいやく)はお滝の水でちらし棒を清めた後、手桶にお滝の水を汲んで観音堂に持ち帰ります。持ち帰ったお滝の水で祭具や面などを清め、面櫃(めんびつ)の中に収め、魔払い役宅へ届けます。
魔払い役の家は観音堂から灯してきた提灯の火をロウソクに移し、面櫃の前に灯して、再び観音堂へ運ばれるまでお守りします。